シエナ (Siena)

ゴシック様式の建物やシエナ派と言われる絵画様式で知られるシエナ。
フィレンツェとはまったく違った独自の文化を持っていたようです。

市立美術館で見た絵画の印象は、フィレンツェの華やかさとは異なる陰を感じるものでした。
こういった特徴もフィレンツェとの長年の闘いによるものなのかもしれません。

ドゥオモ(大聖堂)のファサードも見事です。
フィレンツェとの比較で感じるのは、建物に飾られた彫刻の見事なところです。 『彫刻ではシエナの勝ち!』でしょうか?

常にフィレンツェに対抗意識を持っていたシエナは、世界最大のサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の大聖堂を凌ぐべく、
14世紀半ばにシエナ大聖堂の拡張工事に着手しました。 
その後、ペストの流行や飢饉による人口減少で財政難に陥り、
結局正面入り口を作ったところで中断してしまったそうで、その未完の正面が鐘楼の右手に残っています。
もしもこれが完成していたら、現在の正面のファサードは左側面の入り口になっていたか、なくなっていたことでしょう。
洗礼堂のファサードも未完成のままだそうです。

シエナで有名なのは、猪の生ハムとピチという太いパスタです。
行きたかったオステリアが残念ながら休みだったため、この日は食べられませんでしたが、
後日モンテプルチアーノでピチにありつけました。
太目のうどんといった印象でしたが、モチモチした感じが妙に美味しかったです。
(名古屋名物の味噌煮込みうどん、甲府名物のほうとうを思い出しました。

また、この町はずれにあるメディチの要塞には、イタリアに1ヶ所しかない国立のエノテカ(Enoteca Italiana)があります。
残念ながら時間の関係で、私は行けませんでした。(あ〜、行きたかった!)

ドゥオモ(大聖堂 Duomo)
白と暗緑色の大理石を組み
合わせた作りが壮観です。
正面真中の扉の上は、太陽
のシンボルです。
フィレンツェとは何度も戦っています。
1260年の闘いの際、7万人対2万人
という圧倒的に不利な闘いを控えて、
市民は前夜この大聖堂前に集まり
祈ったそうです。
その甲斐あってか、奇跡的な大勝利を
収め、兵士達は感謝の祈りを捧げた
ということです。(モンタペルティの闘い)
隣接する鐘楼
大聖堂と同じく白と暗緑色の
大理石を組み合わせた作り。 
洗礼堂(Barristero)
ゴシック様式のファサードは、
未完成です。

ドゥオモの後陣の真下に位置しますが、
入り口はサン・ジョバンニ広場から入る
ようになっています。

カンポ広場の中央にある
ガイアの泉(Fonte Gaia)
14世紀、噴水の除幕式の際、水を待ち
望んでいた市民が歓喜(ガイア)の声を
あげたことに由来しているそうです。
ゴシック様式の代表建築
プッブリコ宮殿
(Palazzo Pubblico)
立法,司法,行政を担う都市国家シエナ
の自治・独立の象徴だったのでしょう。
宮殿の下の部分です。

今も1階部分は市役所として
使われているそうです。 
宮殿の中には市立美術館
(Museo Civico)があります。

屋上部分から見える景色です。
どうやら市場らしきものが・・・。

有名なカンポ広場
(Piazza del Campo)
扇のような形の広場ですが、白い石
のラインで9つに分かれています。 
当時の9人の市民代表による政治
『9人体制』を示しているそうです。
高さ102mのマンジャの塔
(Torre del Mangia)
14世紀半ばに作られた塔は
町のどこからも見えるように、
この高さになったそうです。

現在は時計がかけられていま
すが、当時は時を知らせる鐘
が鳴り響いたのでしょう。
中庭から見上げたマンジャの塔

初代の鐘つき男が怠け者でマンジャ
・グァダーニ(道楽者)と呼ばれたため
それが塔の名前になったそうです。 
マンジャの塔の下の部分

上に登った人達が疲れ果てて
ここで休んでしまうようです。 
シエナの町から見る
トスカーナの風景

スライドショーはこちらです 

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